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新・田村麻子のオペラな人生 2006年08月

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ヴェローナという町

今夜も寒いヴェローナからです。 この夏私はほぼずっとこの町、ヴェローナにおりましたが、 このBlogを読んでくださっている方の中で、 ヴェローナに来た事のない方、 どんな町か想像できないという方も多いと思いますので、 写真をアップしようと思います。 こちらは、 有名なカステル・ヴェッキオ(古い城)からの、町の眺め。 そしてこれは、テアトロ・ロマーノ(ローマ劇場)からの町全体の眺め。 こちらは、 既にこのBlogでも簡単にご紹介済みのアレーナ・ディ・ヴェローナの舞台より。 演目は、出演する筈だったビゼー作曲「カルメン」です、、、(涙) こちらは客席の様子。写真の技術不足により、 一部しかお見せできないことが、残念ですが。。。。 そして、これはプッチーニ作曲「トスカ」より。 カルメンも、トスカも、比較的近い位置からの撮影でしたので、 その規模や、スケール感、全体像を上手に撮る事が出来ませんでしたが、 舞台の様子は、割と細かく分かると思い、これらを選びました。 このアレーナ・ディ・ヴェローナのオペラを目玉に、 毎夏、近隣のヨーロッパ諸国はもとより、 世界中から夥しい数の観光客が訪れるため、 その直接的、間接的収益により、 この町はイタリアでも有数の裕福な町となっています。 しかし、それだけにとどまらず、 ヴェローナは地形的にみても、 町全体が世界遺産に選ばれている事からも分かるように、 大変に美しい町です。 小さいながらも無駄がなく、しかし必要なものはあって、 建物、道、遺跡、自然、などの均整が絶妙のバランスを保っています。 また、これまでここを訪れた友人知人はたいていが一様に、 「いい町だねー」という事からも分かるように (もちろん私も、最初に来たときから好きになりました。) 人々の心を惹きつける何かのある町です。 まあでも、住むのに便利な町かと問われると、 又それは別の話ですが。(笑) しかしながら、 私にとって、このヴェローナは、美しい町という事の他に、 最初のイタリアデビューという幸運をくれた大切な町なので、 ここにいると何故かいつもほっとするのです。 それでは、 次回は、夏の締めくくりに、私のこの夏の話を少し お話したいと思います。 では。。! 人気blogランキングへ
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地蔵盆

こんにちは。 今いるヴェローナは、夜とても寒くなってきました。 アレーナのオペラも、昨日で終わり、 これからは、蟻のようにうじゃうじゃいた夏の観光客も 減っていくのでしょう。 夏は、終わるんだな、、、、という毎年感じる 少し寂しいような気分もありますが、 私は、春生まれでありながら、秋が一番好きなので、 どこか、うきうきするような気分もありますが。 さて、夏の終わりといえば思い出すのは、 子供の頃、毎年楽しみにしていた 「地蔵盆」 私は、中学生まで京都で過ごしましたが、 地蔵盆とは、関西特有の行事であることを、 京都を離れるまで知りませんでした。 ウィキペディアによると、 地蔵菩薩の縁日である8月24日に向け、 その前日の宵縁日を中心とした3日間の期間を指し、 又そのうちの日を選んで行われる地蔵菩薩の祭のことで、 京都を中心に関西に残る子供のための祭り。 となっています。 1年に1回のこのお祭り、私は毎年ものすごく楽しみしていたのは、 たくさんお菓子の詰まった袋がもらえるからということの他に、 1.のど自慢大会があるから 2.盆踊り大会があるから ということでした。 毎年毎年、大勢の人の前で、好きな得意な歌を歌って、 拍手をもらうのは、子供ながらにとても快感で、 目の前の町内の人たちが ニコニコと笑顔で拍手喝采してくれることが何より嬉しく、 自分で作った曲を歌ってみたり、 友達とデュエットしてはもってみたり、 知らない近所の人にリクエストされたものを歌ったり、 お祭りの間中、何度も出演しては、 ちょっとした町内の名物になったものでした。 また、お祭りの最後には、やぐらがたてられ、 大勢で盆踊りをするのですが、 私は、この盆踊りも大好きで、 (何でも踊りと名がつくのは好きなのです) 盆踊りをしながら、ああ一晩中こうして踊っていたいわ、、、と 何度も思ったものです。(笑) はははは。。。 ということで今思うと、 私はかなり滑稽で、おかしな子供だったと思います。 何度も母に、あなたみたいな変わってる子、 どれだけ育てるのが大変だったかといわれますが、 さもありなんと思います。 この場を借りて、お礼を述べたいと思います。 それでは、また! 人気blogランキングへ

ルチアーノ・パヴァロッティ

みなさま、こんにちは。 さて、世界で一番有名なテノール歌手の一人といっても過言でない、 ルチアーノ・パヴァロッティが、 すい臓がんのため現在、闘病生活を送っていると言うニュースは もうご存知でしょうか。 1ヶ月ほど前、 世界の音楽界を震撼させたこのニュースは、 彼の比類ない巨体や、もう70歳を超えた年齢を考えると、 悲観的な口調で、語られており、 私自身も、つい最近彼の故郷であるモデナという町を通ったときに、 もうパヴァロッティの歌を生で聞けることはないのかなあ、、、と 寂しい気分で思っていました。 ところが、です! 今日、偶然会った歌手の友達から、 その彼の友達が現在パヴァロッティの弟子で、 なんと一昨日も自宅でレッスンをしたという話を聞いたのです。 なんと言うか、、、 とても感動しました。 前回のBlogにも関連がありますが、 歌手は大抵引退後、教師になって、 その芸術を後世代に継承しようとします。 彼のように、病気になってもなお、 教鞭をとる人も少なくありませんが、 それにしても、 巷の話では、すい臓がんはとても進行が早いようですから、 きっと彼も、あと少しの命と知りつつ レッスンを行っているのでしょう。 教えると言うことは、 そのエネルギーを違う生命に注ぎ込むことで 自分の生の証を受け継いでいってもらうことでもあり、 歌うと言う直接的なことではなく、 別の形で、社会に還元できる喜びがあります。 先生、生徒、両者間に エネルギー交換があれば、 教師側にとっても、 又舞台とは違った この上もなく尊い時間になります。 天下のパヴァロッティ、巨万の富を得た彼も、 やはり、天寿を全うする前に、 音楽で命を燃やしたいと思っている気持ちが、 まるで手に取るようにわかります。 彼は、本当にすばらしい歌手ですが、 どのようなレッスンを行うのか、 色んな意味で大変興味があります。 パヴァロッティが残された時間、大いにレッスンをして 少しでも多くの後輩に、彼のエネルギー注ぎ込むことができるよう、 彼の喜びのために、そして弟子の彼らの喜びのために、 心からお祈りします。 人気blogランキングへ

ザルツ後日談

前回まで続けて書いたザルツブルク思い出話に、 大事な後日談があったことを、すっかり忘れていました。 ザルツブルクに行く前に、楽しみにしていたルチア・ポップ女史のクラスが、 現地に到着後すぐに、キャンセルされていることが判り、 急遽、グレースバンブリー女史のクラスに変更したことは すでに書きました。 同じようにポップのクラスからバンブリーのクラスに流れてきた人の中に、 体調不良なんてきっと嘘よ、 どうせ急に恋人でも出来て、バカンスにでも行きたくなったのよ などと言う人もいましたし、 彼女に限らず、夏の講習会は 講師たちにとって、半分お遊びみたいなものだから、 割と簡単にキャンセルしたりするものだと言う話を 多くの人から聞いたりして、 そうなのかなー。。。などと思っていたのですが。。。。 なんと、その夏から何ヵ月後の秋に、 ルチア・ポップ女史は、亡くなられました。 病名は覚えていませんが、(癌だったような覚えがあります) 確か、まだ50代と言う若さでした。 体調不良なんてきっと言い訳に決まってると思ったことを 心の中で詫びるのと同時に、 ああ、彼女のクラスが本当に受講出来ていたら どんなに良かっただろう、、、とつくづく残念に思いました。 それにしても、、、、 ポップ女史は結局のところ、レッスンを受けるどころか、 面識すらもありませんでしたが、 1度でもレッスンを受けたことのある先生、 まして、何年にもわたって、お世話になった先生の死というのは、 とても辛いものです。 私は、ピアノを習っていた頃から考えると、 これまでお世話になってきた、大切な、敬愛していた先生を もう何人も失ってきました。 これからやっと恩返しが出来ると思っていた矢先に、 亡くなられた先生もいます。 しかし、陳腐な言い方ですが、 それぞれの先生が残してくださった言葉や、 それらを通しての、各々の先生の哲学、生き様は 今も私の胸の中で多く生き続けており、 そういう意味では、 教師と言う職業は本当にすばらしいと思います。 といっても、 すばらしい音楽家が、 すばらしい先生になり得るかというと 必ずしもそうではありませんし、 「Art(芸術)とは教えたり、教えられるものではない」という ピカソが残している言葉も、これまた真理だとは思いますが。 私という人間は、全ての自分の これ迄の経験、体験してきたこと、考えてきたこと、 そして現在、経験、体験すること、考えること これから経験、体験だろう、考えるだろう、 事から成り立っており、 それらは全て私の歌(芸術) の一部分になります。 そう考えると、 仕事としては、 どんなに辛くてもやるせなくても、不毛でも、 これだけ「生きている」という実感の持てる歌を歌う行為、 生の証である歌を歌うと言うことを、 やはり一生続けて生きたいなあ、、、と思うのです。 それでは、又! 人気blogランキングへ

ザルツブルク思い出話 ラスト

悲喜こもごもだったモーツァルテウム音楽院での3週間のコースは あっという間に終わり、ありがたいことにコースの終わりに 開かれるコンサートの出演者として選ばれ、 「夢遊病の女」のアリアを歌って、 コースは終了しました。 私にとって、 何が一番勉強になったかと言うと、 バンブリー女史に直接教わったことというよりは、 さまざまな国から集まってきた人たちの歌を聞き、 一口に歌を歌うといっても、 実にさまざまなアプローチの仕方があるのだ と、知ったことでした。 国によって文化が違い、表現方法が違っても、 万人の心の琴線に触れると言う歌、瞬間というものはあるもので、 それが分かったことは、 私にとって、大きなことでした。 と言うことで、 コース期間は、毎日たくさん歌い、勉強し、 そしてその傍らに、観光をする、、というような 有意義な時間を過ごしました。 しかし一方で、 ザルツブルクにいる間中、 なんともいえない寂しさがずっとつきまとっており、 これが俗に言うホームシックと言うものだと気づき、 自分がこのようにひどいホームシックにかかってしまう人間だと知ったのは、 われながらとても驚く事実でした。 といっても、私の場合は、 自分の家や、家族が恋しいと言うよりは、 自分の慣れ親しんだもの、日本食、日本語、日本の友達、 日本のもの全てが恋しいと言うような感情で、 それは、たった3週間だから、 また音大から一緒に来たグループの友達がいたから まだ良かったようなものの、 今後、長期にわたって一人で海外留学をし、 おまけに歌手として働いていくとなると 果たして自分は耐えられるのだろうかと、 ザルツにいる間に感じるようになりました。 そんなわけで、 音大を卒業したら、大学院にすすむか、 すぐに留学を始めるか、、、、と迷っていた私は、 その夏のザルツブルク体験をもって、 自分の器の小ささ、人としての幼さ、未熟さ、 そしてまた 今後どれだけたくさん勉強しなくてはならないか、 を思い知り、 もう少し日本で修行(?)をして強くなってから、 留学を始めようと、思うに至りました。 そして月日は流れ、それから4年後に、 私はようやく、本格的に 念願の留学を始めることになったのでした。 その4年間のあいだ、 どのように色々修行したのかは、 又別の機会に預けたいと思います。 以上、遠い日のザルツブルクの思い出話でした。 長い話につきあってくださって、ありがとうございました。 人気blogランキングへ

ザルツブルク思い出話 4

こんにちは。 このザルツブルク思い出話が、予想外に好評で もっと話が聞きたいという要望を多く頂いた為、 実は、今回で終わりにしようと思っていたのを変更して、 もう少し、続ける事にします。 当時、毎日長々とつけていた日記が実家にあるので、 それを読み返せば、色々ともっと詳しく書けると思うのですが、 ご存知のとおり、ただ今イタリアにおりますので、 あまり詳しく思い出せないところがある事が少し残念です。。。 さて、初日の声聴かせオーディションでの醜態は、 前回お話しましたが、その後の私の落ち込みようはひどく、 絶対に、もうクラスを受講できず、聴講生になるんだ、、、 と思い込み、その晩のご飯ものどを通らず、 一人宿に帰って、 うじうじしながら日記をつけたと思います。 しかし、翌日の朝、指定された場所に今後のクラススケジュールを見に行くと、 なんとなんと、私の名前は、ちゃんと受講できる人の中にあり、 しかも、バンブリー女史が受講生一人一人に 今回勉強すべき課題のレパートリーを、書いてくれていました。 私は、 「夢遊病の女」からの”ああ、私は信じられない”というアリアと、 「リゴレット」からの、”慕わしい人の名前は”というアリア2曲を与えられており、 彼女が、私の声にぴったりの曲を選んでくれた事、 しかも2曲とも、きちんと勉強したいと思っていた曲だった事が非常に嬉しく、 あっという間に元気になった私は、 さっそく図書館に楽譜を借りに行ったことを覚えています。 クラスは、大体1日、2日おきごとに行われ、 バンブリー先生と二人で発声練習を中心にした個人レッスンと、 最初のオーディションの時のように、オーディエンスの何人もいる中、 公開レッスンのような形態で行われる時と二通りあり、 その公開レッスンのための、ピアニストとの半ばコーチングのような合わせ、 そして毎日の自分一人での練習、もあり、 1日1日、忙しく過ぎてゆきました。 グレース・バンブリー女史は、 数少ない黒人プリマドンナの一人で、 お若い頃、まだまだ人種差別の残るヨーロッパの社会で 数え切れない程のいやな思いを受けられてきた話を 同じ受講生の日本人の方に聞きました。 メトロポリタン歌劇場のツアーのソリストとして ヨーロッパで歌ったときにも、 いわゆる白人の歌手の出入り口ではなく 別の出入り口を使わされるよう命じられたという話など、 本当に信じがたい様なことでしたが、 当時の私は、 東洋人である私も、この西洋の伝統文化の世界で 歌手として生きる限り、このようの事はこれから きっと遭遇するに違いないと、暗澹たる気持ちを持ったことを 覚えています。 しかし何はともあれ、彼女はとても良い先生で、 歌以外の色々な物事に対しても、あたたかく広い心を持っておられ、 又その発声法も、教え方もとても健康的で、 私は最初のレッスンで、彼女のことがとても好きになりました。 また ザルツブルクの夏は本当に美しく、 特に、音楽院の隣にあるミラベル庭園は、 手入れの行き届いた色とりどりの花、 きらきらした噴水と緑の息吹が、 すぐに自信を失って、へこみがちだった私の心を 本当に癒してくれました。 それでは、又次回に。。。! 人気blogランキングへ

ザルツブルク思い出話 3

さあ、いよいよオーディションの時間がやってきました。 どのような形態で、オーディションが行われるか 全くわからなかったのですが、 とりあえず、集合時間に指定のクラスルームへ。 ところが、入り口は人で溢れかえり、 中に入ることが出来ません。 ざっと見た感じでは、ありとあらゆる国の人がいるような気がして、 まず私は、その熱気に圧倒されました。 女性がほとんどで、 下は15歳くらいから上は、50歳くらいの方までおり、 何人か、日本人らしき人もちらほら見かけたので、 早速、彼らと言葉を交わしました。 そんな中、誰かが 教室が小さいので、 大きなホールに移ります、とアナウンスして、 私たちは、部屋を移動することに。 部屋を移動した後は、 とにかく、一人ずつ、得意な曲を歌っていくことに。 オーディションとはいえども、よくある最初の 声聞かせ会のようなもので、 受講希望の生徒だけでなく、その友人、知り合い、先生など たくさんの人が、バンブリー女史とともに聴いています。 何順に歌って言ったのかは、 さすがにもう忘れましたが、確か午前中から始まったそのオーディション、 夕方遅くなってから、私は歌ったことをかすかに覚えているので、 もしかしたら、歌いたい順に歌っていった気もします。 ちなみに、このザルツに限らず、 大抵こういうシチュエーションでは、歌いたい希望順に 歌っていくことが多いので、 (大抵先生が、誰から歌いたいですか?と訊きます) 日本で教育を受けた私は、なかなか 「はい!歌います」と1番にいうことが出来ず、 たいてい、いつも最後のほうか、一番最後でした。 (実は今でもです…それでもいいと思っていますが) そんなわけで、その日はいろんな国からのいろんな人の歌を 何時間も聞きました。 驚くほどうまい人と言うのは、 思ったほどいなかったような覚えがありますが、 それでも、そんな中 私はぎりぎりまで、何度も、よその空き教室に行って、 発声をしたり、トイレに行ったり、そわそわしていました。 そして、オーディションも終わりに近づき、 あとは誰が歌っていないのーー?と言うような状況のなか、 最後のほうに手を上げた私は、 部屋いっぱいに埋まった人のなか、覚悟を決めて歌いだしました。 ところで変な話ですが、 何の曲を歌ったのか覚えていません。 しかも、とても緊張していたはずなのに、 歌自体は、結構悪くなく、歌えていた気がします。 ところが、私が自分がものすごく緊張していると気づいたのは、 歌い終わった後のことでした。 バンブリー女史から、何歳?と最初にたぶんドイツ語で たずねられたのだと思いますが、 全然、その言葉が頭に入ってこず、うろたえていたら、 今度は、How old are you? と、ゆっくり尋ねられました。 それでも、私は意味が分からず(!)あわあわしていたら、 何語が話せるの?と訊かれ、 それでも、一体頭の中がどうなってしまったのか、 言葉を発することが出来ず、ただぼーっと 突っ立っていて、 しまいには、イタリア語は?ときかれた時に、 イタリア語なんて全く話せなかった時なのに、 なぜか、Siと答えて、その後、全くイタリア語なんて 分からない私に、バンブリー女史は、苦笑を。 そこで、バンブリー女史は、誰か彼女に日本語で訳してあげて!と オーディエンスに向かってたずねると、まるで救世主のような ある日本人ソプラノの方が、はいと答えて、私の傍まで来てくださって、 私の通訳をしてくださったのでした。 本当に、惨めでした。 決して、悪くない演奏をしたのに、 そのインターナショナルで、熱気のこもった雰囲気のなかで、 私は、一言も外国語を発することが出来ず、 日本語で、小さい声で、彼女に向かって答えるのが精一杯でした。 バンブリー女史は、 ここに来て、クラスを受けることが分かっていたのだったら、 少なくとも、英語かドイツ語を学んでくるべきだった、と 私に説教してらしたようですが、 私としても、何がどうなって、こんなことになっているのかが 全く分からず、 緊張感が極まって、完全に頭がパニック状態になって、 右脳と左脳がうまく コミュニケートしなくなっていたのだと気づいたのは、 後になってからでした。 ちなみに、これは余談ですが、 歌っているときや、音楽を演奏しているときには 概して右脳を多く使っていることが多く、 本能に任せて歌っているときほど(特に本番では、その傾向が強まりますが) 右脳が多く働いて、 歌い終わった後は、母国語であったとしても、左脳からの言葉がまったく 出てこないケースは、多くあります。 しかしそれにしても、あの時の私の状態、惨めさは、尋常でなく、 絶対に、語学をマスターしなくては!という強い思いとなって残り、 のちのち、 語学を勉強する強い動機となっていったのでした。 それでは、又この続きは次回に、、、! 人気blogランキングへ

ザルツブルク思い出話 2

さて、ザルツブルクに到着後、早速次の日に 私たち一行は講習会の受付のため、 モーツァルテウム音楽院に出向くことになりました。 小さい頃から大好きだった映画、 「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台にもなった 花がいっぱいで、心がうきうきするようなミラベル庭園を抜けると 近代的で無機的な入り口の建物があり、それがモーツァルテウムでした。 まさか、今日すぐに歌えとは言われないだろうけれど、 ポップ女史のクラスを本当に取れることになるのだろうかとか、 いつオーディションするのだろうかとか、 一体何が起こるのかまったく見当のつかないまま、 どきどきして、受付に向かうと、、、、 なんと、ルチア・ポップのクラスは、彼女の体調不良のため、 キャンセルされていると言うことが判明! 受付の人は、そういうことですので、振り込まれたお金を返金しますから どこどこで受け取ってくださいなどと言っているようです。 (引率の先生が訳してくださいました) まだ20歳そこそこの学生で幼かった私は、 なぜもっと早くに教えてくれなかったのだろう、、とか、 日本だったら、こんなこと有り得ないのに、、、など、 今なら絶対に思わないようなことを思い、落ち込み、 ポップのクラスを取る事だけを楽しみにして頑張ってきた事を 恨みがましく思い浮かべて、思わず半泣きになりました。 しかし、めそめそしている暇はなく、 せっかくオーストリアまではるばるやって来て、 しかも大学の名前をしょって大学のお金で来ているのだから、 ただで帰るわけにもいかないと、引率の先生と相談して 急遽その場で、何かのクラスを選ぶことに。 他の選択肢としては、 現代ものを中心にキャリアを築いてきた歌手が先生の、現代曲中心のクラス、 ドイツリートを中心に勉強するクラスは本場だけに、いくつかありましたが、 (かの有名な、日本の生んだドイツリート歌い、白井光子さんのクラスもありました。) ドイツリートのクラスを事前の入念な勉強なしに受講する事は、 考えられません。 消去法でいっても、 ポップのクラス用に勉強してきたことが生かされるクラスはなく、 それでは、せめてオペラが勉強できるクラスを希望しようと思い、 私とは全く声も分野も違うものの、 有名かつすばらしい黒人ソプラノ歌手、 グレース・バンブリー女史のクラスを受講することに変更。 ところが、バンブリー女史のクラスは人気が高く、希望者もすでに一杯で (ポップのキャンセルのため、その分人が流れていた事もあるかもしれません) 初日のクラス内オーディション次第では 受講できずに、聴講生になるかもといわれました。 クラス変更を希望し、気を取り直したのもつかの間、 聴講生だなんて、一人で参加しに来ているならそれでもいいけれど、 何度もいうように、大学の名前で参加しにきている以上、 帰国後の報告会や学内の新聞にも、何の感想も言えやしない、 これはオーディションで頑張らなくては!と又新たなプレッシャーが。 その晩は、少し前から参加していた他のグループや、 引率の先生なども交え、 川のほとりの素敵なレストランで夕食会があり、 美味しい物をいっぱい食べさせてもらったはずなのですが、 何をどう食べたのか、ほとんど覚えていません。 今写真を見ても、なんとなく暗い顔をして写っています。 起こってしまった、自分のコントロール外のことをクヨクヨ考えて、 目の前にある楽しいことを味わえないのは、勿体無い事であると 学び始めたのも、この頃あたりからではなかったかと思います。 さて食事が済んで、 ホテルに戻ると、「お姉ちゃん」という声が。 なんと、その夏、欧州一人旅をしていた弟が、 ホテルの入り口に立っていたのです。 気ままな旅をするから、寄るかどうか分からないし、 寄ったとしても、いつになるか分からないという弟に、 一応ザルツブルクでの宿泊先を知らせておいた事をそのとき思い出し、 いきなり尋ねてきてくれた弟に、嬉しいやら驚くやら。 という事で、 次の日、半日練習した後は、 オーディションのことをちらちら気にしつつも、 弟とザルツにわか観光を、楽しむことに。 そしていよいよ、弟の去った次の日に、 それまでの人生で最も緊張したオーディション体験が。。。。 それでは、続きは又次回に! 人気blogランキングへ

ザルツブルク思い出話

こんにちは! イタリア、特に私のいるヴェローナは、暑さも峠を越し、 やっと昼間も過ごしやすくなってきてほっとしています。 さて、最近 小さい頃の夏の思い出話を続けて書かせていただき、 なかなか好評でしたので、 今日は もう少し大きくなってからの思い出話を、書いてみたいと思います。 私が国立音大2年生だった頃、学内で 海外派遣奨学生制度というものが出来、 3年生の終わりの年期末試験にて、 それぞれの学科で1,2番になったものが、 その年の夏、海外での短期講習会に 全額学校もちで参加できると言うことになりました。 絶対にチャンスをものにしたいと思っていた私は、 3年時の試験には、少し難しいものに挑戦したり、 そのために猛勉強もして、その甲斐あってか、 幸運にも3年時の試験では、かなりよく歌え、 晴れて奨学生として、 ザルツブルクにある、Mozarteum Hochshule(モーツァルテウム音楽院) の夏期講習会に参加できることになりました。 そして、 4年生になった春から早速、嬉々としてドイツ語の勉強や、 そのためのレパートリーの準備を始めることになったのです。 私が、夏期講習会で希望したクラスは、 ドイツの名ソプラノ、ルチア・ポップ女史の モーツァルトオペラのキャラクター表現と言うクラスでした。 「フィガロの結婚」のスザンナ、「コジ・ファン・トゥッテ」のデスピーナ等、 生き生きとした名演を残してくれている彼女から 直接、薫陶を受けることが出来るクラスに参加できるなんて、 その頃の私にとっては、まるで天にも昇るような出来事で、 毎日のドイツ語の勉強にも、本当に力が入ったことを覚えています。 (今となっては、ほとんど忘れており残念ですが、、、、) 大学では、何度も説明会がひらかれ、 そのたびに各学科選ばれたもの同士も、 何度も顔を合わせるため仲良くなってゆき、 どのようにドイツ語を勉強しているかそれぞれ情報を交換し合ったりして、 (その年はほぼ全員がザルツブルクに行くことになっていました) 7月の出発に向けて、どんどん気持ちは高まっていきました。 ポップ女史が得意とした役と、自分のレパートリーは重なっていた為、 上記の二役はもちろんのこと、他にも 「ドン・ジョバンニ」のツェルリーナ、「魔笛」のパミーナ、 や、他にもモーツァルトの役は、見てもらえるだけ見てもらいたいと、 かなり欲張って時間もかけて、 大学の先生とともに、入念に準備したことを覚えています。 それらの準備と平行して、教職の免状のための2週間の教育実習とその準備、 また夏が終わってすぐに行われる大学院の入試の勉強や準備もあった上、 普通の大学での授業もこなさねばならず、 おまけに アルバイトとして子供に教えていたピアノのレッスンなども 休むことが出来なかったため、 本当に目が回るような忙しさでしたが、 ザルツブルクに行って勉強できるんだ、と言う嬉しさは 次から次へと事をこなすエネルギーを、 私に与えてくれていたことを覚えています。 とはいえ、夏に向けて徐々にやせて言った私を見て 学校の先生などは、大いに心配されていたようでしたが、、、。 そしていよいよ、7月某日、待ちに待ったザルツへ出発することに。 喜びと興奮と言うよりは、 どちらかと言うと、色々な心配ごとや不安に押しつぶされそうになりながら、 楽譜や辞書のために、信じられない重さのスーツケースを引きずって、 成田空港に向かったことを覚えています。 それでは、 続きは又次回に。。。! 人気blogランキングへ

人間万事塞翁が馬

今日、プロフィール欄を久しぶりに更新いたしました。 いつものとおり、キャンセル、変更などが結構あるため、 今後の予定として載せられるものは契約書を交わしたものだけにしたいのが 本当のところですが、 まだまだ、直前まで契約書を用意してくれない組織、劇場、ホールも多く、 それを待っていると、 いつまでたっても発表できないのが、少しつらいところです。 さて、12月中旬に予定されていた、ハンガリー国立歌劇場オーケストラとの ドン・ジョバンニの録音、キャンセルになってしまいました。 理由はわかりません、そして契約書もまだ交わす前でした。 しかし、その代わりに、来年2007年の椿姫のヴィオレッタ4回を オファーしてきました。 まあ、ドンナ・アンナ(ドン・ジョバンニのプリマドンナです)よりは、 合っているし、録音より本公演の方がいいか、、、と 残念ながらも、納得していたら、それも急に最近になってキャンセル! ハンガリーは、今年4月に4年に1度の選挙を終え、 国営であるオペラハウスは当然その影響を大きく受けており、 いまだに内部が混乱状態であることが理由でした。 (そんなことは、本当かどうか分かりませんが) まったく、劇場側のコマに使われる歌手は、 本当に非力な生き物だと又痛感、、、。 そして、その後悪いと思ったのか、急に 今年9,10月(もう来月ですが)の、 同歌劇場のリゴレットのジルダ役4回を、オファーしてきました。が、 すでに、私はその時期、アメリカで椿姫を歌う事になっていますから、 泣く泣く断ることに。 まったく、いつもながら、どうして本番は重なるのでしょう。。。! ジルダの公演、1回は、10月13日、 つまり、アメリカの本番の、10月12,14日の間の日でした。 私がどんなに超人だったとしても、 こればかりは無理です。 せめて、同国内であれば、私のことですから、 全然違うキャラクターである、ヴィオレッタ、ジルダであっても やっていたかも、、、、?いや、でも 3日続けてオペラはいくらなんでも、のど的も体力的にも 無理ですね。 と言うことで、近いうちにハンガリーに行く予定はなくなってしまいました。 まあ、でも捨てる神あれば拾う神ありで、 12月に、前からお話を頂いていた日本からの第9の仕事が、 ちょうど正式に決まり、 年末に日本で仕事が出来ますので、ありがたく思っています。 2007年、2008年、の予定も色々話はあるのですが、 上記のとおり、決まるまでには、2転3転するのも、珍しくない上、 かなり、確実性の高い本番以外は、 事前に口外することもなかなかはばかられます。 と言うことで、 又何か決まりましたら、お知らせいたします。 それではまた! 人気blogランキングへ

富士山を登るとかけて、発声と解く

夏になると思い出すことは、 何日か前にもいくつか書いたように、沢山ありますが、 そのひとつに15歳の頃、家族で富士山に登ったことがあります。 5合目あたりで1泊した次の日の、 朝日がとてもきれいだったこと、 登っている最中、知らないおばさんに 10歳くらいに見えると言われ傷ついたこと、 山頂での牛乳が異様においしかったこと、 山頂から下山する時に、だんだん下界のざわめきが聞こえてきた 不思議な感覚、、など色々思い出すことはありますが、 一番記憶に残っているのは、 富士山に登る時には、 いくつかの登山ルートがあると知った事でした。 その後の人生において、私は何度その事を思い出したことでしょうか。 と言うのも、ひとつの山に登って山頂を目指すときに、 色々なルートがあるが、そのうちのひとつを選んだら、 それに従って登山すると言うことは、 シンプルですが、とても大切なことだからです。 突然ですが、 声楽を学ぶと言うことは、 とても簡単に言ってしまうと、 最小の力で、最大の効果(最も自然な美しい声)を得るやり方を 学ぶと言うことです。 つまり、その為には、 声楽を学ぶという分野においては、 他の楽器を学ぶのよりも、 楽器(からだ)作りにかける時間が長く必要で、 音楽的なことを学ぶのと同時に、 楽器を整えることを学んでいかなくてはなりません。 ところが、私たちは、生まれてから まずお母さんを通して声を発するという行為を覚え、 言葉を覚え、立って歩くことを覚え、、、 に始まり、色々なことを、自然にして来てしまっている故、 さあ、歌を歌うのにもっとも自然な声を出してみましょう、と 0からレッスンを始めたとしても、すでに色々な癖が身体には、 ついてしまっています。 その習慣をとって、 歌を歌うときに必要な筋肉を訓練して鍛えて、 少しずつ声を、身体を育ててゆく過程では、 やはりある程度、先生(トレーナー)が必要なわけですが、 その先生と一言で言っても実にさまざまで、 先生の数だけ、やり方、訓練の仕方があるといっても過言ではありません。 歌を習い始めたときにはもちろん、 誰でも自分の先生の言う事を信じますから、 自分の先生の言うことが、他の先生や、現役の歌手の言うことと 同じであれば、もちろん問題はありませんが、たまに違っていたり、 時には、正反対のことを言っているように感じられると、 誰でも急にとても不安になるものです。 もちろん、私にもそういうことはありましたし、 きっと、ほとんどとの歌手にそういうことは起こっていることでしょう。 そんな時に、私が決まって思い出してきたことは、 富士山登山ルートのことでした。 つまり、、、 みなの目指す山頂(いい声で自由自在に歌える状態)は同じでも、 山頂へのアクセスの仕方は、数限りなくある。 初心者向けの富士宮口からこつこつ登る人もいれば、 御殿場口からの人、はたまた、 ヘリコプターで、アクセスする人もいるかも知れない。 そうやって、一度決めたルートで登っている最中に、ふと 浮気心を出して、他のルートの人を見ると、 その時点では、まったく別のことをしているように見えたりして、 不安になってしまう。が、 そういう時は、自分の決めたルートを信じて、他を見ないのが大切。 これは、もちろん声楽の勉強に限らずなんにでも言える事だと思いますが。。。 そして現在私は、いくつものいくつもの山頂を越えた後、 又ある山頂目指して、誰も登ったことのないルートを、 直感と、他の山を登ったときの経験を生かして登っている最中です。 が、 道なき道をいくのは、予想通りなかなか大変です。 が、 これまでの経験から、必ずいつか山頂につけることを知っているので、 迷いながらのルート探しも、楽しいと言えなくもありません。 きっと歌い続けてゆく限り、登り続ける山々ですが、 これまでがむしゃらに登ってきたことで、 少しずつコツが飲み込めてきて、登る速度も速くなってきており、 また楽しみながら登ることも覚え始め、 (こうしてブログを書いていることも、そのひとつです!) やっとやっと最近、自分の登ってきたルートを振りかえる余裕が 生まれ始めています。 この夏は、又こうして一人で毎日山に登っていますが、 山に登りながら、木を見て森を見るのが、今の私の理想です。 それではまた。。。! 人気blogランキングへ

もしも願いがかなうなら、、、

もしも、 どんな願いでも一つだけかなえてあげると神様に言われたとしたら、 絶対にしたいお願いは、この10年くらい変わっていません。 それは、、、 自分の声を、自分で聴かせてほしい!と言うことです。 劇場の客席で、とは言わないまでも、 一度でよいから自分の肉声を、自分で聴くことが出来たなら、 自分の長所、短所、が全てみえて、 たちどころに今抱えている問題は、解決するのに、、、 と、これまで何度思ってきたことでしょうか。 フランコ・コレッリと言う往年の名テノールは、 家に人間と同じくらいの大きさのスピーカーで、 毎回自分の本番の後、自分の録音をきいて チェック、勉強していたと言います。 当時は相当高額なものだったでしょうが、 自分の勉強、テクニック向上、のためには 必要不可欠かつ、優先度No.1のものであったことは、 容易に察しがつきます。 私も音大生のころから、必要に駆られ、 レッスンや、自分のコンサートなどを必ず録音することはもちろん、 普段の練習でもよく録音して、自分の歌をなるべく聴いていました。 でも、たとえば一緒に歌った人などの録音を後からきいてみると、 やはり生で聞くのとはぜんぜん違って聞こえ、 となると自分の声も、結局どう聞こえているのか分からない事が、 長い間の不満でした。 正しく、客観的に自分の声を聴くためには、 肉声に近い音を録ってくれる性能の良い機械が当然よいわけで、 次第に 少しでも音質のよいものを、、とこれまで、次々と 録音する機械を色々と試してきました。 録音できるタイプのウォークマンに始まり、 MDも何度買い替えたか分からないくらい色々と試し、 それでも飽き足らず、 はては当時10万円近くしたDATも、自分の歌の上達のためと思い、 惜しげもなく、買い求めたものでした。 そんなわけで、私の部屋には過去何年間かの 私の歌の膨大な記録が、電気製品の歴史順に さまざまな形で残っています。 カセットテープ、MDカセット、DAT、CD、、、など それらは、それぞれの時代を表しており、感慨深いものがあります。 また画像での記録にしても、 ヴィデオカメラで撮った、ヴィデオカセットの他に、 普通のヴィデオで残っているものもあれば、Hi8、VDカセット、などもあり、 最近では、なんといっても、DVDが主役です。 そういえば、私の歌の記録ではありませんが、 DVDがここまで浸透する前に、レーザーディスクで オペラを鑑賞していた時代があり、その時に私も何点か 買ったものですが、 レーザーディスクの本体が壊れてしまってからは、 ほとんど今では売っていないため、 ディスクを保持はしていても観る事が出来ません。 新しい電気製品は次々と日進月歩で登場していますが、 何が残り、何が廃れるかは、その時点では 私たちには、判断できないため、 ある程度、それが定着するまで待ってから、 買ったほうが良い、と言ういい例だと思います。 とはいえ、 その時、その時に性能の一番良い録音機、、と思っていた私のように、 先端のものを追えば、当然そのようなリスク(と言うほどのものでもありませんが) はついてまわり、ある程度、仕方のないことですが、、。 ちなみに、日本を離れてからは、 すっかり電気製品に疎くなってしまい(これは仕方のないことだと思いますが) たまに日本に帰ると、携帯電話をはじめ、 電気製品がことさら優秀で、しかも安くで買い求められることに つくづく、感嘆してしています。 きのうFnacという日本で言うところの、 ビックカメラ、とかヨドバシカメラ、に相当する ヨーロッパの大型電気製品チェーン店に久しぶりに行き、 最近ずっとほしいと思っているMP3がいくら位かチェックしがてら、 (私はまだ録音にはMDを使っています!) やはりこちらもずっと欲しかったWeb cameraと言うものを買いました。 その時に、 店員さんは私をみて、君日本人でしょ?日本のほうが質もよくて さらに安くで買えるだろうに、何でここでわざわざ買うの?と聴かれ、 日本の製品がどれ位すすんでいているのか、 こういう店で働くひとはよく知ってくれているなあ、、とうれしく思いました。 ここ何ヶ月日本に戻っていないし、あと何ヶ月かも日本に戻る予定もないため、 今ここで買うしかないと判断したのですが、 その店員さんの言うとおり、ここにもさくらやなどあったらなあ、、、と 心から思った日でした。 人気blogランキングへ
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