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新・田村麻子のオペラな人生 2006年05月

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オーディションキャンセル

こんにちは。 ただ今、ドイツはベルリンに来ております。 実は、先週NYにいたときに、イタリアのマネージャーより連絡が入り、 ライプツィヒの歌劇場でオーディションが入ったが、 興味はあるか?といわれました。 やっと身体も元気になり、歌も本来の調子に戻っていた事ですし、 よし、やろうと思って、さっそくドイツ行きの飛行機チケットを探し、 今週初めにベルリンにやってきました。 (ライプツィヒの空港には国際線は乗り入れてないため、 近場のBerlinから電車で行こうと思ったのでした)      ところが、、、! あと何時間かで空港に向かうという時間になって、 又イタリアより連絡が入り、 急にライプツィヒよりオーディションキャンセルの連絡が入った、 だから、行く必要がなくなったとのこと。 少しショックでしたが、まあこういうこともあるか、仕方ない、と思い、 とりあえずヨーロッパにはいくことにするわ、もうチケットも買っちゃったし、 と答えて、とりあえず空港に向かう事にしました。 それにしても、、、 これが、何年か前に起こっていたとしたら きっとそのとき私は、多大なショックと、落胆、怒り、などを 覚えていたと思います。 しかし、こうなったのには、きっと何か意味があるに違いない、 ではそれを待ちましょうと自然に思えて、 いまこうしてBerlinの友人宅でそれなりに楽しく過ごせている 自分に対して、本当に強くなれたものだと嬉しく思います。 ちなみに、オーディションに限らず、オペラの本公演などでも、 直前に劇場側、プロダクション側の都合でキャンセルになる事は 多いとはいえないまでも、まああるもので、 私も何人かからそういう話を聞きます。 そんな時は、違約金をもらったとしても、 そうそう腹の虫は収まらないものでしょうが、 人間万事塞翁が馬、と思い、 次のことだけを考えて、さっぱりと突き進む事が大事なのだと思います。 そんな事が起こるのはいやですが、 でも、今回の事はいい訓練になった気がします。 というわけで、 遊びに来たわけでなく、歌う気満々だったドイツですが、 明日は、ゲーテに「世にも美しい5月」とよまれた自然を満喫しに、 郊外へ連れて行ってもらいます。 又その様子をアップしますね。 それでは、みなさまも良い季節を楽しまれてください。 人気blogランキングへ
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ボランティアで歌うということ

日本では、 阪神大震災の起こった1995年が、 ボランティア元年といわれているそうです。 震災後、被災地に住む日々との悲惨な状況を知り、 何かせずにはいられないと思った全国の若者たちが 自ら被災地へ趣き、ボランティアを行うという現象が、 その数の多さの故、 社会的にも大きく取り上げられました。 もちろんその前から、 ボランティアという概念は日本にも有ったと思いますが、 誰かに乞われるわけでもなく、 ただ 何かできる事なら少しでも役に立ちたいという 純粋に自発的な欲求が多くみられたことで 1995年のものは、それまでとは大きく違ったのだと思います。 実は私は、 その頃から、それをきっかけに 「ボランティア」というものが大変に気になり始め、 やりたいという気持ちの反面、 自分で何のためにしたいと思うのかがよく分からず 行動に踏み切れませんでした。 その当時は、やりたいからやる、という行動は 自分にとって幼く思え、 理由がないのに行う事に対して躊躇していました。 また、 自分が自分の事も満足に出来ないうちに、 人のお手伝いをさせていただく事は 傲慢であるような気もしていました。 なので、 心底やりたいと思った時にやろう、 少しでも疑問に思ったり、 意に沿わないボランティアなら やるべきではないと思い、 (ボランティアと言う言葉自身、 自発的であるという語源から来ているものです) 自分の中で機が熟すまで待っていました。 たかがボランティアをする、というだけの行動に そんなに大げさに考える事はない、、、 と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、 私には、なぜかそこに大きなこだわりが有ったのです。 しかし、何年も前に五木寛行さん著「生きるヒント」で、 インドなどでは実際、金品をもらう虚無僧などが、 人から物をもらっても決して礼を言わない、 なぜなら、施しとは、 貧しいものが富めるものより恵んでもらうという行為などでは 決してなく、善行を行いたいと思うものが、 謹んでさせていただく行為なのだと言うくだりを読んだとき、 なるほど、ボランティアとは徳を積ませていただける 尊いチャンスなのだと考えるようになりました。 ボランティアをすることは自己満足だったり、 売名行為であったりする気持ちが、 自分のどこかに隠されているのではないか、 という自分への猜疑心が、 その考え方によって、見事に払拭された気がして、 とても楽になっていきました。 そして、段々と、 なんとか、自分も楽しく気持ちよく、 また徳を積ませていただけるチャンスは無いものかと、 思うようになっていきました。 ですが、いいチャンスも、また実際時間も、又余裕もなく、 ずっとこれまで先延ばしにしていたのですが、 この度縁あって、NYのとあるNPO団体の方と知り合い、 日程も合いましたので、 今回、私は歌を歌うと言う形で ボランティアが出来ることになったのです。 結果として、私はとても楽しく歌わせていただき、 又とても喜んでくださる皆さんの顔を見て、 多くのエネルギーを頂きました。 そして、これによって, 私は食べて行かなくてはならないから 出演料という形でお金をもらわないと、 資本主義の世の中では生きていけないのは 事実であるが、 私のやる事というのは、その大小、有無に限らず、 時間とエネルギーの許す限り、 ただ喜んで聞いてくださる方の前で、 歌っていく事だけであり、必要な事は そのために上達し続ける事だけなのだと 改めて再認識させられた時間でした。 これからもどんどん、色々な機会に歌っていけたら いいと願っています。 ちなみに、NYでのボランティアに興味をもたれた方は 今回私の歌わせていただく事になった機会を 与えてくださった、こちらの団体を 参照してみてください。 http://www.nydevolunteer.org/contact/NYdV.html それでは又次回! 人気blogランキングへ

NYでの1週間

NYに戻ってきてから、目まぐるしく時は過ぎ、 あさってからは、またヨーロッパに行く事になりました。 が、その前に、最近起こった事を 写真入で、いくつか紹介したいと思います。 まず先週の日曜日は、友達カップルのうちに招かれたのですが、 そちらではご自慢の、焼きたてPizzaをご馳走になりました。 ここはナポリかと思うほど、美味しいPizzaを作ってくれたのは イタリアにいった事はないけど、 僕はピザをハートで焼いているから きっとイタリアで食べるのより美味しいはずさ、と言っていた アメリカ人のテノール歌手の彼。 確かに、本当に美味しかった! 見てください、写真で伝わりますか?? それから、水曜日には、 この春めでたくコロンビア大学大学院を修了した、 友人の卒業式典にお祝いに駆けつけました。 コロンビア大学と言えば、アメリカでも有数の名門校。 入学するのよりも卒業するのが何倍も大変なアメリカの大学では、 大抵卒業式には家族ぐるみで参加し、盛大にお祝いするのですが、 このコロンビア大学、世界中から優秀な生徒が集まってくるため、 その卒業式は文字通り、ものすごい数の人が繰り出し、 ご覧のように、かなりのスケールの式典に圧倒されました。 軽く1万人は超えていたと思います。 その卒業式典に出席するには、 生徒一人につき4枚までしかチケットが配られないという話からも、 どれだけ、このイヴェントが大きなものか想像つきますでしょうか? とはいえ、各学部代表によるスピーチはいたって平凡、退屈、 またあまりの人の多さのゆえに まるで日本の夏の花火大会のように混雑を極め、 1回経験すればOK,と言う感じではありましたが、、。 それから、今日土曜日は、 かねてから興味のあった、ボランティアを行ってきました。 老人ホーム(といってもそこは、「イザベラ」という洒落た感じの 養護施設といった感じでしたが)にて、 歌を歌わせていただきました。 では、このことは、又明日書かせていただきま--す。 人気blogランキングへ

身体の声、エゴの声

こんにちは、またまたお久し振りです。 体調不良のため日本にもどっており 何人かの皆様にはご心配おかけしたのですが、 このたびすっかり元気に回復して、 先日NYに戻ってまいりました。 詳しく何が起こったのかは説明しませんが、 今回のこの私の身体の反乱は、 私があまりに、病は気からと思いすぎていた考えから 来たのだと少し、反省しています。 どういうことかというと、 身体が私に不調を訴えても、 それは気のせいよ、とか、 よく寝れば治るよ、と言い聞かせ、 精神だけで頑張っている事が 今まで多々ありました。 また、これをしたい、あれをしなくてはいけないと 強く頭で思うと、身体のことは後回しで、 常に、脳のほうを優先してきました。 それこそ、病は気から、で 気を強く持っていたり、充実させていれば、 少々の身体の不調は治ってしまうと思っていたのでした。 私は常々、 人間の脳は死ぬまでに、 結局3パーセントほどしか使われないが、 火事場の馬鹿力と言って、 信じられないような能力を人間が発揮する時とは その3パーセントを超えて、脳が働く時なのだと言う話を好んでいました。 また、 人間の脳は、人類が氷河期を越えてきた過去や これまでの進化などを全て覚えているが、 それを思い出すことなく、潜在化に眠らせたまま、 多くの人は死んでゆくが、何人かの天才は、その何パーセントかをほんの少しだけ、覚醒させた人であるという仮説も 好きでした。 ですので、 天才ではない私は、何らかのやり方で、 自分の奥深い意識に眠っている宝の宝庫を開ける事が出来たら、自分の願うとおりに歌が歌えたり、自分の理想とする声で 歌を歌って、人に感動を与える事が出来るのに、、、と どういったアプローチを無意識下に行うかをよく考えていた 時期がありました。 そんな私はやはり、 「心頭滅すれば火もまた涼し」を信じていたのですが、 今回日本滞在中に、治療のため行った有名な気功の先生に、 その火が涼しいのは一瞬だけでしょう、 いくら達人でも長時間ではやけどしてしまいます と言われ、 ”土台を無視しての家作りはありえない” と強く説かれたときには、 遅まきながら、目から鱗が落ちた思いでした。 こんなに当たり前で、基本の事も、私は 本当の意味でわかっていなかったのだと 労わってあげてこなかった身体に対して、 すまない思いでいっぱいになりました。 これまで、そのときに食べたいと思ったものが 身体が一番欲しているもの、とか、 寝たいと思った時が、寝るのにふさわしい時間だと、 身体の声を優先させていたようで、じつは それはただ単にエゴの声だったのかもしれない、と言う事にも 気がつきました。 年の初めに弟から言われた規則正しい生活の大切さ を再度見直し、不規則にならざるをえない歌手の生活とは言え、出来るだけ規則正しい生活を心がけようと いま、新たに誓っています。 人気blogランキングへ

うさぎと亀

今日は、生徒さんのレッスンをしました。 時々日本に戻ってくるたびに、何人かの若い生徒さんに レッスンをしていますが、 これが私にとっても、とても勉強になっています。 ところで、前回の「球体」のお話。 これは、歌のテクニックについても言える事で、 最小の力で最大の効果を出す効率の良いテクニックのためには まさに、身体のどの部分においても必要不可欠なだけの 力が必要なのですが、 これには、かなりの訓練が必要になります。 また、そのテクニックを獲得していくことも「球体」であるとも言え、 色々な部分が均等に延びていけば、 それはたとえ小さくてもバランスの取れた球体となり、 美しくバランスの取れた歌になります。 が、やはり 物事を学んでいくことは、人生を生きるのと同じで、 どの部分も均等にきちんと成長していくことは、かなり難しいと言えます。 生徒さんおのおのの持っている特質、又問題点が違うため、 私も、それぞれにあわせてレッスンを行うのですが、 それでも、皆さんに共通していることがあります。 それは、、、、 一つ何かを体得すると、弾みでさらにもう一つ出来るようになり、 さらにそれが出来るとまた次の段階のもう一つができるようになる、、 という、成長のプロセスです。 当たり前じゃないか、、と思う方もいらっしゃるかもしれません。 が、 これはとても大事な真理だと思うのです。 つまり、歌の上達においては 一足飛びの成長と言うものはないということ。 私も音大生の頃、 早く上手になりたくて、また早く自分の思うように歌いたくて、 練習すれば早く上手になれると盲目的に信じて それこそ年中練習ばかりしておりました。 にも関わらず、 その歩みは、自分では亀のように遅く感じられ、 その一方で、うさぎのようにさっさと成長していくように見えた 同級生などを見るにつけ、 1つずつ1つずつ、のろのろとしか上達しない自分に対して、 苛立ちや、こんなに進むのが遅いなんて 自分は向いてないのではないかという失望を、 たびたび覚えていました。 そんな私は正に、うさぎに憧れる亀であり、 自分は亀だと知りつつも、 必死でうさぎの真似をして走り飛んでいた気がします。 そしてようやく 亀は亀でいいじゃないかとやっと思え始めているここ数年なのですが、 最近、生徒さんを見ていると、 上達の早い人でも、自分のことを亀だと思っていたりすることに 気がつきました。 そして、案外と、人は皆、自分で亀だと思っているものなのかもしれない、、 と、思い始めているのです。 イタリア語で、Tutto insieme(すべて一緒に)という言い方があります。 私はこの言葉を聴く度に、球体が大きくなるときに、 どこかの部分がスバ抜けて早く成長したり、又出来上がったりと言うことはなく、 それぞれの部分が、少しずつ少しずつバランスを取りつつ大きくなってゆくさまを 思い浮かべるのですが、 その様子はまるで、各自がのろのろ進む亀のようです。 亀はのろのろとしかすすまないかもしれませんが、 少しずつバランスを取りながらむくむく大きくなっていけば、 それはとても、安定した素晴らしい球体になります。 反対に、うさぎのように、どこかの部分だけ突出して上達したとしても、 他の部分も同じように成長しないことには、 結局球体としてみた場合には、いびつな形のものになってしまいます。 物事を学んでいくことは決してレースではありませんが、 つい、競争していかなくてはいけない立場におかれると、 そのことを忘れがちなのも良く分かります。 が、 若い音楽家の芽のみなさんには 亀のように頑張っていって欲しいと心から思っています。 人気blogランキングへ
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